東京高等裁判所 昭和39年(行ケ)161号 判決 1969年6月28日
原告
大正製薬株式会社
右代理人弁護士
内山弘
同弁理士
斎藤二郎
被告
中外製薬株式会社
代理人弁護士
大輪威
外三名
主文
特許庁が、昭和三十九年九月二十八日、同庁昭和三八年審判第一、七二四号事件についてした審決は、取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。
事実<省略>
理由
本案前の抗弁について。
被告は、本件審判請求事件と淀川事件とは、本件特許を無効とすべきものとする理由たる事実及び証拠は同一であり、すでに淀川事件につき審決が確定し、その登録があつた以上、仮に本件審決が取り消されても、差し戻し後の審判については、特許法第百六十七条の一事不再理の原則の適用を免かれないのであるから、この原則を定めた法の精神からみて、本件訴は、訴の利益なし、として却下されるべきである旨主張するが、両事件における事実(無効事由として主張する事実)及び証拠は同一とはいえないこと一件記録及び被告の主張自体に徴して明らかであるから、それらが同一であることを前提とする被告の前記本案前の抗弁は、さらに進んでその余の点について判断するまでもなく、理由がないものといわざるをえない。すなわち……本件審決書及び被告の陳述に徴すれば、原告は、本件特許発明が出願当時公知の事実から容易に推考しうるものである旨主張するとともに、右公知事実の一つとして、本件審判請求事件においては、出願前公知の文献であるケミカル・アブストラクト第四八巻第一一三三七欄には「澱粉よりグルクロン酸を製造する場合、二化窒素含有の硝酸(比重1.52)を比重1.42まで稀釈したものを酸化剤とし、亜硝酸ソーダを触媒として用い、OS五℃で反応させること」が記載されていることを挙げ、この事実を裏付ける証拠として、右ケミカル・アブストラクトの該当部分(本訴における甲第五号証の一、二)を提出したこと及び被告主張の淀川事件においては、このような事実の主張及び証拠の提出はされていないことを認めるに足るから、本件審判請求事件と淀川事件とは同一の事実及び証拠に基づくものということはできない。この点に関し、被告は、右ケミカル・アブストラクトは、淀川事件において提出されたドイツ特許第八四九、六九二号の発明の発明者が、右発明と同一内容を発表したものであり、内容的には前記ドイツ特許の明細書と同一であり、したがつて、審決に及ぼす影響は同一であるから、右ケミカル・アブストラクトの引用部分は、右ドイツ特許の該当部分と同一証拠というべきものである旨主張するが、両者がその引用部分(引用部分のみが証拠である)を異にし、したがつて、立証されるべき技術内容を異にする以上、両者を同一証拠ということはできないから、被告の右主張は当を得たものということはできない。したがつて、本件訴の却下を求める被告の申立は理由がないものとして却下することとする。
<中略>
(本件審決を取り消すべき事由の有無について)
二本件審決は、次の点において、判断を誤つた違法があるものとして取消を免かれないものといわざるをえない。すなわち、米国特許の明細書には、原告主張のとおり、
(1) 実施例8「澱粉の酸化」と題する部分には、「トウモロコシ澱粉にその重量の一%に当る亜硝酸ソーダを混じ、ついで澱粉一モルに対し各1.33、20、3.0、4.0モルの酸化剤に相当する濃硝酸を加え、この混合物を四〇℃に保持して攪拌し……二四時間後のウロン酸誘導体の収率は、それぞれ理論量の二〇、二一、二七、三六%であつた」(第九、第一〇欄)
(2) クレーム5には、「グリコシドと亜硝酸ソーダとを四五〜五〇℃で硝酸中に溶液とし、ついで温度を三五〜四五℃に下げ、反応混合物をこの温度に八〜二〇時間保持し、その結果生ずるウロン酸誘導体を加水分解し、この反応混合物からウロン酸を取り出すことを特徴とするウロン酸の製法。この際硝酸濃度は六五〜七五%、グリコシドに対する硝酸の比は、グルコシド一モルに対し少くとも硝酸一モルである」(第一〇欄末行〜第一一欄一二行)
(3) クレーム9には、「クレーム5においてグリコシドとして澱粉を用いる方法」(第一一欄一九行〜二〇行)なる旨の記載のあることを認めうべく、これらの記載に本件特許公報の「米国特許の方法は、六五〜一〇〇%の硝酸を使用する」旨の記載及び証人Sの証言を総合すると、米国特許においても、澱粉の酸化について、本件特許発明と同じく、六五%の濃度の硝酸を使用する事実が記載されていることを認めるに十分であり、証人Nの証言中右と抵触する部分は、前掲各証拠と比照して、たやすく信をおきがたく、他にこれを左右するに足る適確な証拠資料はない。したがつて、本件特許発明は、澱粉の酸化に使用する硝酸の濃度に関する限り、出願当時公知の文献に記載されたものであること当事者間に争いのない米国特許の方法と、ともに六五%濃度の硝酸を使用する意味において、技術思想を同じくするものといわざるをえない。
本件審決は、この点に関し、本件特許発明と米国特許とが、使用する硝酸の濃度範囲に関する限り、その限界点において重複することを認めながら、六五%を基準として、以上を高濃度、以下を低濃度と呼ぶようなことは硝酸が六五%附近において臨界的な特性を有することからみて当該技術の分野において妥当なことであるから、両者は別個の濃度範囲を意味するものと解すべきである旨説示するが、仮に、硝酸が六五%附近(「附近」とは、六五%を中心としてその前後をいうのであろう)において臨界的特性を有するとしても(そのこと自体、全く疑問なしとしないことは、この点に関する原告の抗争するところに徴しても、推測に難くないところであるが)、そして、六五%以上を高濃度と呼び、六五%以下を低濃度と呼ぶことが技術的に意味のあることであり、両者が別個の濃度範囲を意味すると解するを相当とするとしても(この点も、はたして、そうであるかどうかは、高濃度硝酸あるいは低濃度硝酸というような固定の概念が確立されているとは認めがたいことから、必ずしも疑いなしとしないが)、そのような理由から、米国特許には、本件特許発明と同じく、六五%の濃度の硝酸を使用する技術が開示されている事実及び本件特許発明は、六五%濃度の硝酸を使用する技術思想に関する限り、この先行技術と一致する事実を否定することはできない筋合である(もし、仮に六五%の濃度の硝酸を使用する(イ)号方法が何人かによつて実施されたとしたら、権利者は、本件特許発明の技術的範囲に属しないとして、不問に付すべきものと考えるであろうか)。
また、本件審決は、「米国特許において現実に六五%濃度の硝酸を使用する事実が認められない限り、両者は使用する硝酸の濃度を異にするものと解するを相当とする」ともいう。しかし、請求人である原告が、いわゆる文献公知を主張した本件において、米国特許の明細書に六五%濃度の硝酸を使用する旨の記載があること以上に、現実にこれを使用する事実の立証を要するというのは何のためであろうか。もし、この記載が技術的に不能な事項を記載したものであるというのであれば、その理由を明示すべきは、きわめて当然のことである。
以上いずれの点においても、本件審決は、使用する硝酸濃度の点に関する限り、米国特許の明細書に六五%濃度の硝酸を使用する技術の開示を否定した点において、全く説得力を欠き、その認定を誤つたものというほかはなく、したがつて、仮に他の点の認定が正しいとしても、全体において判断を誤つた違法のものといわざるをえない。(なお、叙上のほか、被告の主張するところは、本件審決の理由と直接関係のないものであるので、審決の結論、したがつてこれを支える理由が誤りであるかどうかが争点である本訴においては、とくに言及することをしない。)
(むすび)
三以上詳説したとおりであるから、その主張の点に判断を誤つた違法があることを理由に本件審決の取消を求める原告の本訴請求は理由があるものということができる。よつて、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。
(三宅正雄 石沢健 滝川叡一)